自分の専門とぜんぜん関係のない数学の本を読んでみると、証明の論証を確かめても、わからない定理はやはりわからないことに気がつく。証明は確かであるが、何となく全体の印象がぼやけて判然としない。これに反して自分の専門分野の定理ならば、証明を忘れてしまっても、わかるものは明晰判明にわかる。2+2=4になることがわかると同じように明晰判明にわかるのである。われわれが2+2=4なることを理解するのは、2+2=4なる数学的事実を感覚的に把握するのであって、論証によるのではない。
(『ノートをつくりながら』)
天才数学者の感覚なので、多分に想像するしかないが、「2+2=4」という表現自体は、滞米期間が長い小平さんなので、英語の慣用表現かもしれない。16世紀からそういう表現があるという話は、
英語版のwikipediaの「2+2=5」の項にもある。いっぽう本邦には、戦時ポスターに
『東條首相の算術 2+2=80』(1943)なんてものがあった。それより前のソヴィエト連邦の、増産を謳う
『2+2=5』というポスターを援用したものと思われるが、桁が違うのが、大日本帝國らしい大言壮語である。
『1984』の「2+2=5」も、ソヴィエトのものがモチーフらしい。
これを機会に、ぱらぱらと再読した
『怠け数学者の記』では、
『プリンストンだより』が、あらためて面白かった。1949年、小平さん30代の日記である。オッペンハイマーの前で恐縮し、ホームシックになっている朝永さん、親切なワイル、茶目っ気たっぷりのヴェイユ、ヴェイユと正反対なフォン・ノイマン。ゲーデルとアインシュタインがドイツ語でなにやら話しながら歩くの見たり、岡潔さんの消息を聞かれたり、湯川さんのノーベル賞に朝永さんと祝杯をあげたりしている。ほかにも綺羅星ばかりで、20世紀版
『アテナイの聖堂』(ラファエロ)みたいだ。朝永さんは、高野文子さんの
『ドミトリーともきんす』のトモナガくんみたいでもある。
渡米したばかりの小平さんが、英語がさっぱりわかないとこぼし、いっぽうで、スイスの数学者ド・ラーム氏のブロークンきわまる英語をあげて、夫人のセイさんに、これでも困らないのだから、君ぐらい英語を知っていればこっちで大丈夫だと書き送ったりもしている。毎度英語のプレゼンテーションに苦労する身には、すこし勇気づけられる話である。なお、当初1年だった予定の小平さんの滞米は20年近くに及ぶことになる。
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