月、ミジンコ、深海魚、めかぶ
2018-07-30


◆見えなかった月食と千羽鶴
一昨日、関東に台風のせまる明けがた、雲間に皆既月食の月が見えるのではないかと寝床を抜け出し、ベランダから空を見たが、月影はまったく見えず、ふたたび眠りについた。雲の向こうの月食となったが、最近知った次の歌を紹介したい。

月蝕のくらき部分は蝕すすむままにあはれに明るみてゆく 佐藤佐太郎

食の進んだ暗い部分が、暗黒ではなく、地球大気による散乱と屈折により、明るく(赤く)見えるさまを詠んでいる。ここでの「あわれ」はpityではなく「もののあわれ」的なことだろう。影は欠けはじめでも赤いはずだが、輝面比が下がると、暗い部分の赤さが目立つので、「すすむままに」「明るみてゆく」ことになる。

関連した話がある。先日ラジオでかかっていた『ガラスの林檎』(松本隆作詞、細野晴臣作曲、松田聖子歌)を聴いて思ったことだ。「蒼ざめた月が東からのぼるわ」という歌詞なのである。昔は別になんとも思わなかったが、まさに月がのぼろうとするとき、朝日が赤いように、蒼ざめることは考えにくい。ひとの色覚は単純ではないので、周囲との比較で青く見えることもあるかもしれないが、地平線近くの月は、だいたい赤い。などと、もやもやと考えた。まあ、そもそも、たとえば松本さんの「はっぴいえんど」時代の歌詞は、リアリティーなんぞ知るかてなもんであり、それもまたよい。

と書いて、あっ!となった。はっぴいえんどの『風街ろまん』所収の『あしたてんきになあれ』の歌詞に、折鶴がでてきたことを、唐突に思い出したのだ。アナログレコードで繰り返し聴いていたアルバムなのだが、「折鶴コレクター」として忘れていた。その後、テープも買ったお気に入りであるが、30年ぐらい聞いていなかった。テープはすぐに見つかって、ひさしぶりに聞いてみた。

さっきまで駆逐艦の浮かんでた通りに のっぴきならなぬ虹がかかった
その虹で千羽鶴折った少女は ふけもしない口笛 ひゅうひゅう
『あしたてんきになあれ』松本隆作詞)

八ヶ岳山麓に戻る途中、韮崎大村美術館に寄った。ノーベル生理学・医学賞受賞者にして、女子美術大学の名誉理事長でもある大村智さんが収集した絵画などを展示する美術館である。想像以上のコレクション(展示されているのはほんの一部)の中で、堀文子さんの『極微の宇宙』に惹かれた。
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