『数学短歌の時間』など
2018-07-25


『数学セミナー』『数学短歌の時間』(永田紅さん、横山明日希さん)に、数学短歌の投稿を続けている。俳句や短歌は(ひとのものを)読むのは好きなのだが、つくることはほとんどなかった。しかし、数学+短歌(というよりも、数学∩短歌だろうか)というきわめてニッチな企画なので、誘われている(じっさい、誘われた)、出番かもしれない、と一歩踏み出た格好である。折り紙もそうなのだが、制約のある中でものをつくるのが好きなのかもしれない。

先ごろでた8月号では、「題:帰納法」で二首とってもらった。その一つが以下である。

「一つ落ちて二つ落たる椿哉」子規のこの句は帰納法かな

これは、以前このブログに書いた子規の句の感想を、そのまま歌にしたものだ。終助詞の「かな」は詠嘆というより疑問である。

このブログでは、なんどか子規先生に言及している(これとかこれとかこれなど)。読み返すことも多く、親しみが強くなり、「キョッキョッ キョキョキョキョ」とホトトギスの声が聞こえると「あ、正岡さん」と言っている。アカゲラが木を叩く音がすると、「あ、石川さん」ともらすのも習慣となっている。天文台の仕事で来ている高原では、彼らの「声」がよく聞こえるのだ。

投稿の筆名は、「紙鶴翁」という、急いでつけたものなのだが、これにもたまたま鳥の名がはいっていた。しかし、正岡さんと石川さんの顰みにならって、鳥の名そのものにし、五十の手習いなので前川五十雀(ゴジュウカラ)にすればよかったとも思う。前川信天翁(アホウドリ)というのも捨てがたい。上の筆名にもつけたように、充分「翁」なのである。それに、「天を信じる老人」って、格好いいじゃないか、アホウドリ。

翁といえば、自分で言うことでもないが、なんとまあ、数年前、「生きる伝説」扱いされることがあって、それだと格好よすぎるので、自らを「生きている化石」に例えるとなにがよいだろうかと考えたことがある。ゴキブリはやっぱり却下で、シーラカンスもぴんとこない。カモノハシとライチョウが有力候補だったが、オキナエビスがよいという結論となった。カンブリア紀から似た種がいた「翁恵比寿」の名を持つ貝である。4円切手にも描かれていた。この名で進化系統的に古参というのもぴったりで、貝世界の老賢人の風格の貝である。以後、職場のディスプレイの上には、そのフィギュアをつけている。
禺画像]

とまあ、話がそれまくっているが、『数学セミナー』のこの連載は、驚いたことに文芸誌にも取りげられた。『文藝』2018年秋号、山本貴光さんの文芸時評である。引用されたのは、わたしの下記の歌(題:ベクトル)であった。

壁にある時計の針のベクトルはゼロにはならず我を追い立つ


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