百合鴎、鴫、凍鶴
2019-01-23


あの伊勢物語の業平の歌の都鳥は、都の鳥の意味ではなく本来はミヤとなく小鳥の意味で、都の字を填したのは歌の上での作略で業平以前に萬葉集巻二十に、大伴宿禰家持、舟競ふ堀江の河の水際に来居つつ鳴くは都鳥かも、の一首が存する。

そして、耳にはさんだことがあったが、都鳥にはもうひとつややこしい話がある。ユリカモメとは別の都鳥がいるということだ。チドリ目チドリ亜目のミヤコドリである。これは、すくなくとも近世には都鳥と呼ばれていた鳥で、主にキュピッと鳴く。この鳥がなぜ都鳥なのかは、「みゃーこどり」説では説明がつかない。腹は白いが全体に黒く「白き鳥」とは言えないことなどから、『伊勢物語』の都鳥ではないとする説が有力だが、これこそが、業平の都鳥とするひともあり、それもあって、その鳥の現在の和名がミヤコドリになっている。たとえば、幕末の『都鳥考』(北野鞠塢、1814)は、「飛ヲ下ヨリ見レバ白キ鳥ニ見ユ」とか、「くの字を筆意によりて し とも違ひ」と記し、この鳥を業平の都鳥に比定しようとしている。しかし、『都鳥考』を意識した、のちの『都鳥新考』[LINK](熊谷三郎、1944)は、これらの説を「雪を炭と言ふ譬」として退ける。じっさい、背中の黒いミヤコドリは、『伊勢物語』の都鳥ではなく、逆に『伊勢物語』『萬葉集』を元にした話が錯綜して、この鳥がそう呼ばれるようになった、と考えるほうが理が立つ。ちなみに、『都鳥新考』の序文は露伴が書いていて、これは『音幻論』の執筆時に重なるので、露伴の文章も『都鳥新考』を参照してのことと思われる。戦争中、時流にそぐわない英文の引用もある『都鳥新考』なる本を上梓した、熊谷三郎さん(1896-1954)というディレッタントじみた鳥類研究者のことは、とても気になる。

鳴き声も体色も違うが、ミヤコドリとユリカモメは、系統樹的にはチドリ目でまあまあ近縁だ。ひとことで水鳥といっても食性も異なるが、似たところはある。たとえば、水鳥は、雀の類や猛禽のような枝につかまる鳥と違って、垂直の細い足ですっと立つ印象が強い。鳥が飛ぶさまというのは、案外、画として思い浮かべにくいが、立っている姿は脳裏に浮かぶ。水鳥のそれは、姿勢よくまっすぐである。

などと考えているうちに、そのように、すっと立っている水鳥の折り紙を折ってみたくなったので、つくってみた。折鶴の基本形を丁寧に折るだけのモデルで、糊付け不要の構造とし、目安を明確にした以外に、アイデア、設計、技術のいずれもなんということはないものだが、姿勢よく立って、自然な立体感がでたので満足だ。鴎の脚には水かきがあり、鴫(しぎ)や千鳥にはなく、鴫や千鳥の脚のほうが長いので、どちらかというとその脚なのだが、いちおうユリカモメがモチーフである。水かきや爪をつくると、脚を細くできないのでやめた。
禺画像]

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