百合鴎、鴫、凍鶴
2019-01-23


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白き鳥の嘴と脚と赤き しぎの大きさなる 水の上に遊びつつ魚を食ふ 京には見えぬ鳥なれば みな人見知らず 渡し守に問ひければ これなむ都鳥と言ふを聞きて
名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり

『伊勢物語』のこの段、都鳥の名で京を偲ぶ話は有名だけれど、あらためて考えると、「京には見えぬ鳥」(みやこにはいない鳥)が、なぜ都鳥という名前なのか、謎である。実は、渡し船の船頭さん、適当なこと言ったんじゃないの。
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先日、塚本邦雄さんの『秀吟百趣』を読んでいて、この疑問がぶりかえした。同書に、富安風生さんの句「昔男ありけりわれ等都鳥」が挙げられており、その「本歌」である『伊勢物語』のこのくだりが「簡潔で意を盡した文は絶品に近い」と絶賛されていたのだ。しかし、やはりわたしは、上の疑問が解消できないので、古典中の古典と言っても、すんなりと鑑賞できないのであった。

この問題に関して、平安時代の坂東では、鴎のたぐいを総じて「みやこどり」と言っていたのではないか、という説がひらめいた。なぜそう呼ぶのか。「みゃーこ」と鳴くからである。あはは。ウミネコが、その名のごとく猫のような声でなくのはよく知られたことだが、調べてみると、都鳥の正体とされるユリカモメも、やや濁っているが、似たような声で鳴く。『声が聞こえる野鳥図鑑』(上田 秀雄、 叶内 拓哉)で調べたので間違いない。他の鴎も同様で、みゃあみゃあ、ゐあゐあと鳴く。太宰治が『鴎』『火の鳥』の中で、「鴎は、あれは、唖の鳥です」と書いているが、じっさいの鴎はよく鳴く。いざこと問はむみゃーこどり。岩手県の宮古という地名は、中世以前の記録にはないそうだが、同地の浄土ヶ浜は、いつからかは知らないが、ウミネコの繁殖地のひとつで、いまは市の鳥にもなっているので、地名の由来に関係があるかもしれない、などとも想像する。

これでわたしは納得だったのだが、調べてみると、とくに新説というわけではなく、鳴き声からみやこどりと呼ばれるという話は、すでにあった。たとえば、幸田露伴は、最晩年の一書『音幻論』(1947)にこう記している。


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