『宙の地図』
2013-03-03


同じ作者の『時の地図』にも「折りヅル」の比喩があったが、続編の『宙の地図』(フェリクス J.パルマ著 宮崎 真紀訳))にも次のようなくだりがでてきた。
いまの望みはもう一度彼女に会うことだけだった。その目的に向かってつき進むのみ。だがそれだけでは足りない。彼女と知りあいになり、本当はどんな女性なのか、どんなお茶が好みなのか、子供時代の最も恐ろしい思い出はなにか、いちばんの望みはなにか、すべて調べるのだ。最終的には、折り鶴を開いてどうすればそういう形になるのかを解き明かすように、たたまれた彼女の心をきれいに広げてしまわなければならない。それが愛なのだろうか? 彼女が私の魂から欠け落ちたかけらなのか?
恋する男の独白的描写なので、書き写していてちょっと恥ずかしくなるというか、ストーカーだぞおい、と思うが、パルマ氏は、人生を折り紙に喩えるのが好きみたいである。

『時の地図』では、表記が「折りヅル」となぜかカタカナになっていて、スペイン語の原著では、「grua del ppaer」(紙の鶴)などではなく「pajarita」(パハリータ:小鳥の意。スペインの伝承折り紙)だったのではないかとも思ったのだが、今回は「折り鶴」だった。

小説自体はたいへん面白かった。登場人物の多くが、端役にいたるまで、実在の人物であったり、他作家からの引用であったりする作風は、どこか山田風太郎さんに似ている。
[折り紙]

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