EHTで使われたVLBI(超長基線電波干渉計)は、遠く離れた複数のアンテナの同時観測のデータの相関をとり、それらから画像を合成し、空間の分解能を上げる観測である。M87の中心核も、Sgr A*も、地球大の規模のベースラインによる解像度がないと目的の構造は見えないのだが、その観測は、地球の動きも使って仮想的な望遠鏡の鏡面を埋めようとするので、基本的に長時間の観測を必要とする。よって、短時間のスナップショットには向いていないのである。ただし、Sgr A*のVLBI観測も、平均化や、逆に時間変動を含めた疎性モデリング(少ない情報量からのモデリング)で、興味深い成果が得られる可能性もあるという。
(またまた、話は、まったく変わって)
◆もやもやの解決その1
3年前、『数学セミナー』の別冊『数学ガイダンス2016』に、『折って楽しむ数学セミナー・番外編・円環七色地図』という記事(折り紙的工作+エッセイ)を書いた。そこで、作家・堀辰雄が少年時代に数学者を志望していたという話題に触れ、ポール・ヴァレリーが数学に憧れていたこともからめて、「数立ちぬ。いざ生きめやも」という地口でしめくくった。ただ、このエッセイを書いたさい、いろいろ調べたのだが、辰雄が数学者になりたかったという話のしっかりした典拠を確認できず、エッセイも、「数学者を志望していたそうです」と、推定文にした。
関連の話は、上記記事を書いたさい、このブログに「
折り紙が苦手な堀辰雄[LINK] 」としても書いた。(そこに、辰雄 の
『羽ばたき』にジジとキキという少年が登場するということも書いたが、これに関しては、
『魔女の宅急便』の原作者の角野栄子さんが、名前をそこからとったということを、あとから知った)
先日、辰雄が数学者になりたかったというこの話の証拠を見つけた。『文藝 1957年2月臨時増刊号・堀辰雄読本』掲載の『堀君と数学』(吉田洋一)というエッセイである。吉田洋一さん(1898 - 1989)は、岩波新書の古典『零の発見』や、第1回日本エッセイスト・クラブ賞の『数学の影絵』など、一般向けの文章の筆も立つ数学者だが、辰雄が一高の生徒だったときの数学教師で、その後の交流もあったというひとなのであった。その記述は以下である。
この最後の会見(引用者注:辰雄が逝く前年1952年に会ったさい)
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