『草稿1914-1916』
2015-11-18


今日あるひとにあてて書いたメールに「祈っています」という言葉を使った。

祈りとはなにか。わたしは、何に対して祈ったのか、ということを考え、書棚から、ウィトゲンシュタインの本を引っ張り出した。昔読んで、強く印象に残っていた言葉があったのだ。若きウィトゲンシュタインが、第一次世界大戦に従軍しながら書いた、いわゆる『草稿1914-1916』の中の言葉である。(以下、『ウィトゲンシュタインの生涯と哲学』(黒崎宏)内の部分訳から引用) 一九一六年六月一一日
(略)
祈りとは人生の意味についての思いである。
私はこの世界の出来事を私の意志通りに支配することは出来ない。私は全く無力である。
ただ私は、出来事への影響力を断念する事によって、この世界から独立させることが出来 --そしてそうすることによって、それでも或る意味ではこの世界を支配することが出来るのである。 略した部分には「神」がでてくるが、それをあえて略し、ひとと世界との関係というのは、たしかに、こういうものかもしれないと考える。祈りは、無力であることの深い自覚であり、その自覚と同時に、逆説的に世界に意味が生まれるかもしれない、というふうに。

そして、かつてのわたしによる付箋があったのは、この言葉の部分ではなく、以下の記述のあるページだった。 一九一六年一〇月二〇日
(略)
芸術的な驚きとは、この世界が存在するということ、存在するものが存在するということ、である。 この世界を幸福な眼で見るということ、これが芸術的なものの見方の本質である。人生は厳しく、芸術はたのしい。
[もろもろ]

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