丸石神その28
2010-09-23


禺画像]
北杜市高根町村山北割新井の六社神社境内にある、丸石神である。 左はやや扁平になっているが、右はみごとな球だ。右側は、台座の細工も繊細である。弘化四年 (1847)と安政五年( 1858)の銘がある。自然石ではない人工丸石は、やはり幕末の流行だ。

『甲斐路 ふるさとの石造物』(山梨県編)によると、そもそもは道祖神として集落の辻々にあったものが、「道祖神祭廃止の通達」(明治五年:四年という資料もある)のさいに、神社境内に集められたものであるという。

明治の初めは、いわゆる国家神道による、他宗教や民俗信仰への淫祠邪教扱いが苛烈だった時期である。五島崩れなど潜伏キリシタン(隠れキリシタン)の殉教もこの時代だ。

甲斐の山村の民俗信仰も、そこで一部断ち切られたわけである。神社が「六社神社」なのも、小祠が集められたためかもしれない。
[石造物]

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