トンデモ! 人生正四面体、あるいは風船説
2010-03-05


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ジャネーの法則というものがある。19世紀に哲学者のポール・ジャネーが提唱した法則で、大人になると1年が早く経つのはなぜかということを説明するものである。1歳児にとって1年は全人生だが、50歳の大人にとって、それは1/50に過ぎないという、反比例による説明である。
 話としてはもっともで、わたしも漠然と、そのことが、大人の時間が短い最大の要因と考えていた。しかし、これをじっさいに、横軸を年齢、縦軸を体感時間としてグラフ化(グラフ青:ゼロ近辺を扱いやすくするため、1/(t+1)として、その積分値をプロット)してみると、生物学的限界と思われる120歳を上限にして、全人生の半分が経過するのは約8歳ということになるのだった。これは、いくらなんでも実感にそぐわないのではないか。このグラフは、立ち上がりが急すぎるのだ。最近読んだ『大人の時間はなぜ短いのか』(一川誠著)という本でも、この説はおおざっぱなものだというふうに触れられていた。

 ということを、さきに考えたわけではなく、話は、昨日、ひさびさに乗った満員電車で、時間しのぎで暗算をしたことから始まる。(わたしは、東京育ちなのに、電車通学、通勤の経験がなく、満員電車への耐性がたぶんひとより低い。本も読めないような状態だと、暗算や考えごとをしていないと、それこそ、時間がどんどん長くなってしまう。昨日はiPodのイヤフォンも忘れた)
 このとき暗算したものに、球を正四面体状に積んださいの個数があった。数日前につくったパズルから連想したもので、「三角錐数」、「正四面体数」などというようだ。これから、気がついたことがあったのだ。その数列(0, 1, 4, 10, 20, 35, 56, 84, 120)が、乳児、幼児、少年、青年、中年、老人、そして生物学的限界というヒトの年齢モデルにかなりよく一致しているのじゃないか、ということである。
 これを、さきほどプロットしてみた。

 この正四面体の高さを、人生の体感時間とするわけである。年月を「下に向かって積んで」ゆくかたち、とも言える。生まれて1年で高さは全体の1/8になるが、次は1段増えるのに3年かかる。次は6年、10年となる。これが、緑のグラフである。これによると、体感人生の半分は二十歳である。そして、35歳が8分の5、還暦前が人生の4分の3である。これは、青いグラフのジャネーの法則より、ずっと実感に近いのではないか。しかも、人生の「節目」も示している。結論。人生は正四面体である。

 なんて、ケプラーが、惑星軌道を内接する多面体で説明しようとしたようなトンデモ説である。だいたい、なんで、正四面体なのか、でまかせの説明もない。
 で、ここで考えた。そもそも、体感時間がそれまでの時間に反比例するという説は、つまり、時間と経験(≒記憶)が比例するという説明であると言える。これを単純な比例でないとするとどうなるか。まっさきに思いついたのは、2/3乗(3乗根の二乗)ということだった。つまり、時間は風船がふくらむように体積として増えて行くが、それにしたがって、記憶・経験は、その表面積として増えるという仮説である。これは、、正四面体数によるグラフのきわめてよい近似になる(赤の線)。トンデモ説のわりには、なんだかもっともらしいぞ。
 結論。時間は体積として蓄積し、人生はその表面に宿る。人生は風船でもあり、正四面体でもある。
[かたち・幾何学]

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