鶴ではないものが入っている千羽鶴
2010-01-10


せきしろさんと又吉直樹さんの自由律俳句集『カキフライが無いなら来なかった』に、以下の句があった。 ちょっと違う鶴も入っている千羽鶴 (詠:せきしろ)
 日本折紙学会のスタッフ会議で、「最近、千羽鶴でくちばしの部分を折ってはいけないという風説がひろまっている。『首を折る』に通じるということらしい」という話題がでて、ちょうど、その帰宅の電車で読んだ。以下のような変奏も考えた。

 鶴ではないものが入っている千羽鶴

 この句集は、なかなかに味わい深い。
お湯が六分の一ぐらいの湯船でじっと待つ
醤油差しを倒すまでは幸せだった (詠:せきしろ) へんなとこに米が入ってとれない。
潰れてた日本一上手い店という看板を残して (詠:又吉直樹)
 以前、妻とチャットをしていて(ということ自体、すこし恥ずかしいが)、なにか書いたあとに(放哉)をつけるという遊びをやった。ちなみに、放哉は、尾崎放哉(ほうさい)のことで、「咳をしても一人」などで知られる、種田山頭火(「うしろすがたのしぐれてゆくか」)と並ぶ、自由律の俳人である。
 似たようなことは、エッセイストの宮田珠己さんもやっていたが、ただのチャットの言葉が、(放哉)をつけるだけで、もっともらしくなるのだった。

応答せよ だめか だめだ(放哉)
鍋の野菜を食べ尽くした(放哉)
脚が四本しかない虫(放哉)

↑放哉の句ではない(後山)
後山という俳号を考えてみた しゃらくさい(後山)
[折り紙]

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